2018年07月08日

『ゲッベルスと私』

近年立て続けに公開されたナチもの映画の中では珍しく、ドキュメンタリーであった。しかも取り上げるのはナチスのNo.2、プロパガンダの天才ヨーゼフ・ゲッベルス。どういう切り口で迫るのかなぁと期待していったが、これまでに散々議論されつくした範囲を越えておらずその点では期待はずれではあった。原題は『A German Life』。この映画に限らず、邦題は原題とは程遠いものがつけられる傾向にあるが、今回でいえばやはり原題通りの方が正しい内容であったと思う。「どこにでもいる普通のドイツ人」たる彼女の言葉と、ゲッベルスの言葉、ゲッベルスが作らせたプロパガンダ作品を、モザイクのようにつなぎ合わせていく手法は、恐ろしいほど単調で退屈なものだった。音楽もなく、ナレーションもない。演説をしているゲッベルスの姿も、ヒトラーの写真一枚すらないまま映画は終わった。眠気さえ感じるほどの、極限的に淡々とした描写の果てに突きつけられたのはホロコーストの現実と、「神様なんていない。けれど悪魔はいる」という彼女の言葉だった。それは、ナチの蛮行を決して過去のものとしない、というこの映画のメッセージそのものだったと思う。

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posted by kousa at 09:50| tv/radio/cinema

2018年06月10日

カフェづいている日々。

外食が多かった一時期に比べると、最近は学会などで地元を離れるとき以外はほとんど外食をしません。そういう生活を長くしていると、不思議なもので住んでいる街よりもほかの街のレストラン情報に詳しい、という逆転現象が起きます。それもおかしな話だなと思っていたところに、この数ヶ月、立て続けにカフェで食事をする機会がありました。中でも美味しかった三軒をご紹介。店のタイプはそれぞれ違うのですが、共通しているのは「手作り」にこだわっていること。毎日通うとなったら少しお高いランチになってしまいますが、たまに行くのならば、少しぐらい高くてもゆっくりと食事を楽しめるお店を選びたい。最寄り駅からも若干離れているのも、お手軽感がなくてわたしは好きです。行き帰りの散歩まで込みで、また行きたいと思えるお店です。どうやら名古屋にはまだまだ知らない素敵なカフェがあるようなので、時間を見つけては新しいお店を開拓したいと思います。この三軒は本当に美味しいので、お近くに寄られた際にはぜひ。食い道楽が太鼓判を押しますよ。

食堂ペコリ
https://www.marumitsu.jp/pecori/
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月のひなた
http://tukinohinata.com/
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マタタビ食堂
http://www.matatabisyokudou.com/
(マタタビさんの写真がないのは、ちょうどiPhoneがさよならをした時期だからです。ストゥブでナポリタンが出てきました。拳握るくらい美味しかったです)
posted by kousa at 17:05| food

2018年06月09日

名古屋市の生涯学習講座を担当しました

昨日は、瑞穂区の生涯学習センターでジェンダーについて話してきました。
定員を上回る申し込みがあったそうで、当日も多くの方に受講していただけました。
「雑誌」と「漫画」という二つを取り上げて欲しいという担当者からの指定があり、2時間という短い中でどう分かりやすく伝えられるか、随分と構成を考えるのに時間がかかりました。伝え過ぎても、伝えなさ過ぎてもいけないという塩梅は、一回だけの市民講座の方が難しい気がしています。
会場からの反応もよく、終わったあとには受講生の方と長く話し込む機会もありました。疎開先であったこと、家族のこと、自分が就職のときに受けた女性差別など、家族にも話したことがないという数々の思い。涙ながらに語ってくださったそれらは、紙の資料・史料には残らない生の声であり、歴史そのものだなと思いました。
貴重な機会をいただけたことを、改めて感謝する次第です。
posted by kousa at 17:12| memo

2018年04月29日

本棚の整理は化石の発掘と似ている

数年来放っておいた本棚の整理を敢行中である。この場合の「整理」とは、本棚の中で右へ左へ本を動かして何となく片付けた気になれることを指すのではなく、要不要に分けて捨てていくことを意味している。埃とねこと戦いながら片付けていたら、懐かしいものが出てきた。
院生時代に、春秋社から依頼を受けて書いたエッセイである。

「少女」の誕生(『春秋』No.485)

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発行は今から11年前。一昔前である。恐ろしい。初々しさが溢れている。ご笑覧いただきたい。
posted by kousa at 20:48| book

2018年04月02日

学問は誰のためのものかが問われる時代を生きて

3月28日付けで京大が軍事研究に対する方針を発表した。
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/229664

京大、軍事研究しない方針 「人類の幸福脅かす」

 京都大は28日、軍事研究に関する基本方針をホームページで発表し、人類の幸福などを脅かすことにつながる軍事研究は行わないとした。
 方針では、京大の研究活動は平和貢献や社会の安寧、人類の幸福を目的とするものだと指摘。軍事研究はそれらを脅かすことにつながるとして、京大の研究者は、研究活動が社会に与える影響を自覚しながら、社会からの信頼に応えていくことが求められるとした。


偶然にもこの数日前に『科学者と軍事研究』を読み終わったばかりであったため、京大が何故このような声明を出さなければならなかったのか、この声明が持つ意味とは何なのか、について門外漢ながらもうっすらと感じるとることが出来た。科学技術の躍進と戦争との連関は今更言うまでもない。続く大学が多いことを祈るのみである。



さて『科学者と軍事研究』である。前著となる『科学者と戦争』は未読であるため、この本の内容だけで感想を述べさせていただけば、大変面白い内容であった。まず驚いたのは、この本で紹介されているデータが2017年という最新のものであるということだった。それは著者である池内氏及び岩波書店が、この問題についてほぼリアルタイムで問題提起をしなければならない危機的状況であると捉えていることの証左であるように思う。時間をかけているヒマはない、イマココの問題として発信しなければ転がり落ちるように状況は悪化の一途を辿る。そんなヒリつくような焦燥感が、文字と文字の間から滲み出てきているようですらあった。

ただ納得がいかないのが「あとがき」の最終ページにある、この一文である。
日本国憲法の平和主義は、やはり多数の市民の心に染み込んでいる真正直な心情であり、それは簡単には覆らないと信じている。私たちは、そのような思いに力を得て運動を展開し、それなりの手応えを得ており、それが運動を継続する力の源泉となっていることは確かである。これによって、少しでも科学者の軍事研究への参画が抑制され、学問の原点が守られることを期待している。(下線引用者)

先生の仰るように、「日本国憲法の平和主義は、やはり多数の市民の心に染み込んでいる真正直な心情」なのであるとすれば、何故その平和国憲法の改憲を謳う政権が戦後最長となっているのか。本書の最後の最後で、何故こうも楽観的なまとめになるのかが全く理解が出来ない。果たしてここで述べられている「多数の市民」とは、一体誰のことを指しているのだろうか。

この国がまだ(かろうじて)独裁政権ではない以上、急速に舵を切っている安倍政権を支えているのは、名もなき「日本国民」ということになる。「平和主義」が染み込んだ「多数の市民」が本当の意味で「多数」ならば、現状の惨憺たる有様は現実化していないはずである。池内氏が何を思ってあのようなまとめを書いたのかわたしには分からない。何か本著を書くに当たって、「悪いのは政権であって、あなたたちではありませんよ」という最低限のパフォーマンスが必要だった可能性も否定できない。だが「名もなき国民」による選択の是非を問わずに政権批判をするのは、もはや机上の空論に近い。その点だけが残念であった。
posted by kousa at 22:12| book